妥協したところに調和は産まれない☆
風邪を引いて体調を崩してから痛感したことがあります。
それは私の中で調和という意味をまだまだ勘違いしていたということ!!
調和イコール妥協なところが普段の生活にあったんです。
波風立てないようにとか、相手の立場に立ったらこうだろうな。とか、社会ではこれがやっぱり常識だからこういう場合はやっぱり後々こうしていたほうがいいよな。とか。etc...
内側からはしっかり本当は、こうしたい、こうするといい感じというサインはしっかり出ているのにも関わらず内側のサインよりも生きていくための頭の声を聞いてサインをかき消した瞬間からまるで痛み止めや麻酔がかかったような感じになり鈍感になってしまうんです。
わたしの場合はすぐに体に出てしまうので強制終了となります☆
自分の魂からの声なのか。
それともそう思うことで、社会的にも自分にも利益があって頭でそう思いたいだけなのか。
声には二種類あります。
本当は、魂からの声だけ聞いて生きていけたら物事はシンクロが溢れて循環して豊かな流れへと流れるのが自然なのですが、人間には癖として頭の声を掴んでしまう習慣があります。
頭で考えたことに動いたり、我慢をした後には必ず体に出たり、何かトラブルがあったり、流れを遮るような出来事が起こるようになっているので意識的に両方体験してみて体で感覚を体感して魂の声を大切に選んでいく習慣をつけることがとっても大切です♡
特に日本人は、周りの空気を読む、相手の気持ちを察する能力に長けている民族です。
これはとても素晴らしいことなのですが、周りの気持ちがわかってしまっり、色々なことを感じてしまうが故に、本音の部分が出しずらかったり、ここは我慢して穏便に収めておいたほうがいいんじゃないかという場面は多々あるかと思います。
しかし、これをやってしまうと内側では違和感が産まれます。
内側で産まれた違和感には必ず外にも反映されます。
結果、自分の感覚を信頼すること。
気が乗らないときはちゃんと御断りすること。休みたいときにはしっかりと体の声を聞いて休むこと。
最終的には我慢して、その場をしのいだよりも感覚に従って本音を伝えたほうが調和になることを痛感しました。
自分の中に、人とぶつかったり、摩擦を起こすことを恐れている部分があったのです。
これさえごまかせば、なんとかなると思っていた何かは積もり積もって本来の自分とはズレてしまい全く内側ではなんの調和も起こっていないことを。
自分の本音を伝えたり、良い気分でいられることを選択するときに相手に本音を伝える罪悪感って誰でも多少なりとも出てくると思うんです。
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